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POISONとは1998年に発売された、反町隆史作詞による楽曲である。
ここでは、この曲の歌詞にある「言いたいことも言えないこんな世の中じゃポイズン」という一文について、2011年においてこの詩がどのような意味を持つのか、どう評価されるべきであるのかを考えていこうと思う。

反町の言う「言いたいことも言えない世の中」を「ポイズン化社会」と定義して、現代社会に照らし合わせて考えてみると、例えば日本人的な協調行動、いわゆる「空気を読む」というやつはこのポイズン化社会の典型的な例であるし、その傾向は社会、政治、企業、学校、地域等々、大小どのようなコミュニティにも多かれ少なかれ該当する現象である。

ではまず、なぜ社会がポイズン化していくのかを考えてみよう。日本はもちろん言論の自由は保障されているし「言いたいことを言える世の中」なはずである。にも関わらず、「言いたいことも言えない世の中」となってしまうのはなぜなのか?それはフーコーが言うように、自由な社会であったとしても直接的な抑圧に劣らぬような、「社会の空気」的な拘束力が働いているからである。そもそも完全な自由というものはあり得ず、共同体の中で生きている限りその文化などの影響を受けていて、それに基づいた行動をしているからである。その中でできた自己生成的な「社会の空気」が抑圧、つまり「言いたいことも言えない」ようなポイズン化社会の原因なのである。
しかし、このような共同体に浸透している文化等自体は決して悪いのもではなく、むしろ必要なものなのである。なぜならそのような価値判断基準がないと、無の状態から判断することになり、それは不可能だからである。問題なのは「社会の空気」に反したものを排除しようとする考え方、いわゆる多様性フォビアであり、日本は特にその傾向が顕著なのである。

このようなポイズン化社会に完全に陥った現在、どのようにすべきなのか。その答えは、やはりPOISONの歌詞に隠されている。「俺は俺をだますことなく生きてゆく」という詩である。これについてはもはや細かい説明は不要であろう。幸いにも現在はツイッターやブログなどの、自己表現ツールが発達しており「俺は俺をだますことなく言いたいことを言う」ということが比較的容易である。このようなツールを用いて表現することが、ポイズン化社会を打破する一番効果的な手段ではないだろうか。

2011年からの視点でこの歌を評価してみると、1998年に作られた詩であるにも拘らず、現代社会の閉塞感を短い一文に凝縮されて表現しており、まるでこのような社会になることを予測していたかのような先見性は現代においてこそ正しく評価されるべきであるし、もはや楽曲という域を超えた作品なのではないか。

そして、今後の反町隆史の音楽活動に今後我々はどのような社会を生き、どのような思想を持てばいいのかの答えがあるのではないか、という淡い期待を抱いているのだが、反町は2001年以降音楽活動をしていない。
それは反町自身も言いたいことも言えなくなったことを示唆しているのではないのだろうか・・・
それでもPOISONの歌詞に対する評価は変わらない。我々はポイズン化社会を反町の言葉を頼りにして生きていくしかないのだから。
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